素晴らしい考えではあるが、現実の世界でいうと20世紀前半の思考である。
世界人権宣言以降の人類はそういう世界はもう住んでいない。まあ、ネットは人類世界の部分集合で、フェディバースは更にその一部なのでユニークな運営方針はあっていいわけだが、公共の場での常識としては採用できないし、そもそも、アプリやプロトコルはそういう方針では運営されていないと思う。
もちろん「差別発言をどこまでがっつり禁止するか、そもそもどこからを差別発言として認定するか」というものすごく重大な問題はあるのだけど、今それはちょっと置いておくと…
国際人権法が今想定している社会像をフェディバースに喩えると「安全なサーバーを増やしていこう」という発想にはなっていなくて、「安全でなければサーバーとして存在させない」という考えに近い。だから、国連加盟国は世界人権宣言をはじめとする国際人権条約への加入が求められるし、必要に応じて国際社会は(国内問題に対してでも)人道目的の(武力)介入を行う。
もちろん、そこに恣意的な運用があるし、「ウクライナのナチスが」みたいなややこしいことを言い出す国もあるけど、原則はそうなっている。
詳しく知っているわけではないけれども、マストドンコミュニティ(フェディバース全体は知らない)の差別に対する姿勢には、これに近いものを感じる(実装が十分であるかどうかはさておき)。
そういう理念のこととかはもうちょっと考え込んでもいいのかな、と思う。