今の基礎がいろいろ固まったのが1660年頃の寛文期です。治水、救い米制度、農民に家を持たせ、牛を持たせ、結婚させます。象徴として、殆どの農民が墓を持ちます。墓に家名が掘られるようになるのはその頃からです。庶民は安定を得ました。
その代わりに幕藩政治が求めたものは「一揆するな、強訴するな、横につながるな」。3人以上集まって何かをしようってのは「徒党」っていうんだ、党っていうのは悪いんだ。徒党を組む奴は処刑する。そういうことを何百年にも渡って躾けて、それに合っている人たちだけが遺伝子を繋いで行きました