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昨日、ようやく『エブリシング・エブリウェア・オール・アットワンス』を(家で)みた。

全体としては、アメリカのアジア系移民の現実(差別、困窮、言葉の不自由さ、第一世代と第二世代の対立、伝統との矛盾…)を、ポップな映像と断片化されてランダム化されたナラティヴによって語った映画である。

こういう映像の作り方がここ20年くらいの方向性だよな、とか、このタイトルって「話を複線化して再構成してクライマックスで全部解決する」という古典的な映画の文法だよな、とかいろいろ考えたことはあるのだけど、家族研究の関係者としては親子の断絶の語り方にとても興味を惹かれた。

この映画で、主人公である移民第一世代の女性は、青年期を迎えた娘と対立していて、それがストーリーの主要な要素になっている。ところが、この主人公は自分の父親とも対立していて、かつてはそれで親元から失踪して移民しているのだけど、本国から訪問してくる父親との対立も大きなテーマになっている。

そして、この2つの断絶を、主人公は「わたしは自分の子どもに親との断絶を経験させない」という信条によって解決しようとするのだ(続く)

るまたん

かつて、1970年代であれば、親との断絶は「悲しいが必要なこと」とされていて、映画はそれを「親からの独立」として描いた。もしかすると、日本を含むアジアでは、今もそういう描き方が多いかもしれない(映画は理想を描くので、現実にはそうしたいができないという沢山の人がいることが想像される)。ところが、21世紀のアメリカでは、家族の断絶はもやは断じて避けるべきものなのだ。

このあたりはアメリカの一般の価値観にも表れていて、今読んでいる本でも、アメリカの調査で「家族とは価値観を共有する存在」「家族は自分が自分自身でいられる場所」「家族は支え合うもの」という答えが多く得られたことを報告していた。

ただ、かつてと違うのは、多くのアメリカ人が「家族は血縁者に限らないし、また血縁者をすべて家族と見なす必要もない」と考えていることだ。つまり、全体として家族に関してかなり大きな価値観の転換がある。

こういうものは、そのうち日本にもやってくる(というか、もうやってきて居て、どこかで主流化されるの待っている)と思うのだけど、どういう形で出てくるんだろう、と映画見ながら思った。

@lematin @minamikuma

ディズニーが、割と前にテレビと映画で血縁に関係ない家族の形をあつかっていたなぁと思い出しました。もしよろしければ…

disneyplus.com/ja/browse/entit

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