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「『白旗の少女』(しらはたのしょうじょ)は、1945年6月に太平洋戦争末期の沖縄戦において、アメリカ軍によって撮影された写真およびその被写体となった女性、さらにその女性(比嘉富子)が自身の体験を元に執筆した小説である。小説は、1990年にはフジテレビで、2009年にはテレビ東京で、それぞれテレビドラマ化されている」

白旗の少女 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%B

ja.wikipedia.org白旗の少女 - Wikipedia

The girl with the white flag. (John Hendrickson, Public domain, via Wikimedia Commons)

「該当の写真は、沖縄戦が終盤となっていた1945年6月25日に、アメリカ軍のジョン・ヘンドリクソンが撮影したものである。おかっぱ頭の少女が木の棒の先に白旗をつけて手を振る様子が捉えられている」

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「1945年太平洋戦争の末期、日本本土で一般住民を交えた唯一の地上戦のあった沖縄で戦火の中を逃げまどっていたある少女の話です。父の安否を尋ねて首里から南部の真壁に姉、兄と行くが父は不明でその後は当てもなくとにかく南へ逃げる。そのさなか9歳の兄は流れ弾に当たり即死、さらに南へ逃げる途中で姉とはぐれ一人さまよいあるく。もちろん食べるものもありません。ふと入った珊瑚礁のガマの中で両手両足を失ったおじいさんと盲目のおばあさんに会い数日を過ごします。老夫婦は少女を優しく受け入れ、少女はここで初めてその身を休めることが出来た」

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「1945年6月23日、沖縄戦は終決を迎え、投降を呼びかける米軍のスピーカーの声。おじいさんは少女に一人で投降するように語りかけます。「富子、この世でいちばんたいせつなのは、人の命(ぬち)なんだよ」・・・・・・ 富子はガマの中のオジイとオバアに作ってもらった白旗をしっかり持って歩いています。「それをもっていけば、ぜったいに安全なのだ。それが世界中の約束だから」・・・ 富子に向けるカメラのレンズが銃口に見えました。富子はレンズに向かって笑って手を振ったのです。「泣きっ面を見せるな。最後は笑って死ね」・・・ という父の言葉を思い出したのです」

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nilab

「『白旗の少女』とよばれる一枚の写真があります。それは沖縄戦が終決した6月23日から2日目、ガマ(自然洞窟)から白旗を掲げて出てきた少女を撮った米軍の従軍カメラマンの写真です。少女の名前は比嘉富子さん。実は富子さんは戦後30数年経った頃、沖縄市にある洋書店で英文の戦争写真集の中から『白旗の少女』を見つけすぐに自分自身であることに気付いたが、誰にも話すことなく自分一人の胸の中にしまっていたそうです」

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