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「エンリケ航海王子(エンリケこうかいおうじ、Infante Dom Henrique、1394年3月4日 - 1460年11月13日)は、ポルトガル王国の王子であり、自らは航海しなかったが、大航海時代の初期における重要人物の1人である」

エンリケ航海王子 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A

ja.wikipedia.orgエンリケ航海王子 - Wikipedia

"Dom Henrique of Portugal, Duke of Viseu (4 March 1394 – 13 November 1460), better known as Prince Henry the Navigator (Portuguese: Infante Dom Henrique, o Navegador), was a central figure in the early days of the Portuguese Empire and in the 15th-century European maritime discoveries and maritime expansion. Through his administrative direction, he is regarded as the main initiator of what would be known as the Age of Discovery."

Prince Henry the Navigator - Wikipedia en.wikipedia.org/wiki/Prince_H

en.wikipedia.orgPrince Henry the Navigator - Wikipedia
nilab

「ポルトガルもヴェネツィア共和国も領事館をラゴスに置いたようです。それだけ初期の西アフリカ開発において重要な港だったといえます。エンリケ航海王子も1434年にしばらく滞在しています。この頃エンリケは国王よりラスゴの譲渡を受けていたようです。探検航海の当初の主目的は「皮革と油脂の原料となるアザラシ」の捕獲です。そして、彼らは初めて「アゼゲ族のモーロ人の男女二人」を捕らえます。続いてリオ・ロード付近で10名を捕獲します。モーロ人を奴隷として捕獲するという野蛮な非道は、改宗(イスラム教徒から)を施すという聖なる行為に転換してしてしまいます。そのことの不自然さを、当時の人々は気が付かない思考形態を改めて感じることが出来ます」

歴史の功罪 | Cutty Sark | ブレインセラーズ・ドット・コム|brainsellers.com brainsellers.com/cuttysark/200

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「1441年、エンリケ王子は二人の船長を派遣する。彼等は大胆にもアフリカ大陸に上陸して、原住人を奴隷としてポルトガルに連れて帰った。奴隷貿易の始まりである。エンリケ王子はこの事を容認し、むしろ異教徒をキリスト教で救うことだと考えていたらしい。発見されたアルギム湾は奴隷貿易で使われ、5年間で1000人ぐらいがポルトガルに送られた。ポルトガルの植民地にサトウキビのプランテーションが造られ、そこでの労働力が必要だったのである。カナリア諸島や西インド諸島は代表的な砂糖生産地となった。中世ヨーロッパでは砂糖も香料(スパイス)だったのである」

先陣をきったポルトガルの海外進出 www2u.biglobe.ne.jp/~KA-ZU/por

www2u.biglobe.ne.jp先陣をきったポルトガルの海外進出