「たとえば海外では、廃刊する雑誌が全号をPDFで公開したり、 終わるネットサービスがAPIやCSVで過去ログを提供したりすることがある。終わるものに対しても「記録する意味」「引き継ぐ責任」を意識する動きが残っている。 一方、日本ではそうしたものが “収益にならない=終わっていい”という判断で、そのまま闇に沈められていくことが多いように思う。」
スラドとfabcrossに共通する、文化の記録装置の静かな終わり方 - mama.html https://yi0324.hatenablog.com/entry/2025/04/15/094148