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るまたん

実は、僕は歴史修正主義については、日本だけの大きな欠点だとは思っていません。

どこの国にも歴史修正主義はあり、それはどれも同じようにひどいんじゃないか、と僕は思っています。僕たちがたまたま日本の歴史修正主義に詳しいのは、自分たちの国だから、近くで見ているからです。たまにその側面に光が当たると、たとえばプーチンのロシアの歴史観とか、トランプのアメリカの歴史観とかが見えて、ひどいのが分かります。

どの国にも絶大な人気を誇る国民的歴史作家がいます。しかし、その人たちは外国にはほとんど知られていません。

まあ、イギリスの司馬遼太郎とでもいうべきローズマリー・サトクリフなんかは、あのブリテンシリーズは岩波から日本語訳が出て、僕なんかも夢中になって読みましたが、細部の出来の良さに隠れているものの、考えてみれば全体構造はずいぶんひどいものです。

あそこでは、作者はローマ帝国の一部であるブリテンに同情を寄せていて、彼らが押し寄せてくるアングロサクソンから守ったものが我々現代のイギリス人である。。。みたいな話にしてるんですが、いや待て、そんなはずはない。あなたはアングロサクソンの子孫でしょう。

それはきっぱりした歴史の修正だし、しかも、時代背景を考えれば、サトクリフとイギリスの読者は、衰退してゆくローマ帝国に植民地を次々に手放してゆく大英帝国を重ねていたに違いないのです。

つまり、そんなふうに、近代の国家の歴史観は、国民の神話を作り、現実の世界を自分たちの都合のいいように解釈するためにあります。それは、要するに歴史を修正するということです。ただ、日本の場合はその修正の対象が負けた戦争なので(この辺はドイツの事情と同じですが)目立ちやすいわけです。

だから、僕らは当然そういうものと闘うのですけど、あの戦争に勝った側が正義かというとそういう話でもない。大体、アメリカにしてもイギリスにしても、朝鮮戦争や自分たちがやった中国の植民地化については、ずいぶんな歴史修正をやらかします。

もちろん、だからと言って日本が許されるという話でもありません。ただ、どこも同じようにひどいと、そういう話です。

指摘を受けたので追記します。これは「日本はそれほどひどくない」という話ではありません。

日本のナショナリズム、そして植民地支配はひどい、おぞましいものですし、いまだにその責任を認めていないことも大変ひどいことです。

ただし、20世紀前半に「列強」を名乗っていた国で、同様のことをしていない国はありません。日本には、日本独特のひどさがあるのですが、他の国でもその国独特のひどさがあり、均して言えば、おおむねどこも似たようなことをやっています。

なぜこのようなことを書くのかといえば、裏返しのナショナリズム、反対向きの「ニッポンすごい」としての「日本最凶」論に対抗するためです。そうした議論は、たとえば天皇制というようなキーワードを使って、日本の現在の悪さを日本の特性に還元してしまいます。そこからは別にどこに発展していけず、どんどん内にこもってしまうだけになります。

僕が言いたいのは、これを人類史の普遍的な問題として理解すべきだ、ということです。

そうしたことを考えるきっかけを僕に与えてくれたのは、「植民地(支配)責任」という概念です。

「植民地責任」というのは、20世紀の末頃に、植民地にされた経験のある多くの国々がまとめ上げた考え方で、過去の植民地支配と、それに起因する人権侵害、物的被害、発展の阻害などを旧支配国が旧被支配国に賠償すべきだ、という考え方です。

この概念はいわゆる「先進国」側から大きな反発を受けつつ、2001年夏の通称「ダーバン会議」で形になったのですが、その直後に9.11テロが起き、先進国が発展途上国を攻撃するという国際関係のパターンができてしまったことでそれ以上の発展が長く棚上げになっていました。しかし、最近になって起こっている植民地支配への謝罪や美術品の返還交渉の進展などは、20年かかって少しづつの前進があったことを示しています。

ここで気付くのは、これが1950年代から60年代にかけての日韓交渉で既に韓国側から提起され、日本が応じなかったテーマであるということです。これは日本の「先進性」を表しているものではもちろんありません。同様の提起は世界のあちこちで独立交渉の時に行われ、そして拒絶されています。

日本が韓国に対して採用した「包括的な経済支援」という枠組みも、既に欧米各国によって行われていたものなのです。

もちろん、旧植民地出身の自国内居住者に国籍選択の機会を与えなかったことは、日本にしか見られない悪行です。しかし、それ以外の多くのことでは、日本は驚くほど欧米各国の事例を踏襲し、小悪党としてのポジションをキープしています(それを言うなら、そもそも植民地支配に乗り出したこと自体が欧米列強の模倣なのですが)。

ところで、この植民地支配責任の考え方は、日本軍「慰安婦」の問題とつながりがあります。

日本軍「慰安婦」問題が国際社会に提示され、日本政府が時効や日韓交渉を持ち出して「解決済み」であると主張したとき、それを突き崩したのは国際法におけるユス・コーゲンスの原則でした。これは「強行規範」と訳されるものですが、人権の侵害、とりわけ奴隷的拘束を絶対の悪とし、これを容認したり目罪したりする規定や合意を無効とするものです。日本軍「慰安婦」の場合にも適用されるこの概念は、そもそも、19世紀末に成立した奴隷取引を禁止する国際条約に起源を持ちます。過去のいかなる債務・債権をも直ちに無効とする

ことによって、奴隷を解放したわけです。

この奴隷禁止の原則を拡張したものが、実は植民地責任の概念です。つまり「当時は合法であった」という言い逃れを許さず、いかなる状況においても植民地支配は違法であり、その責任は免除されない、とするのです。この概念の成立は人類史の偉大な勝利であって、全ての人、全ての社会を平等にするという遠大な目標への一歩であると言えます。

このような観点から見た時、日本の歴史修正主義を日本の固有の事情の産物であるとする解釈は、ある意味で邪魔になります。我々が日本を断罪するのは、それが日本固有の悪を持っているからではなくて、人類が持つ最悪の側面を具現化しているからなのです。

実際、韓国の大法院(日本の最高裁に相当します)の判決を読めば、それが人類史的な視点からの日本植民地主義の断罪であることは明らかです。この時、責任を拒否するために、政府をその頂点とする日本の歴史修正主義者たちが展開している詭弁はもちろん、全てを天皇制や日本の国民性に還元する従来の左派の歴史観も、問題を矮小化し、視野を狭くする卑小なものに過ぎない、というのが僕の言いたいことです。

追記です。

日本軍「慰安婦」の問題を戦争の一部であるように考える方向が強いですが、それは間違いだと僕は思います。

そもそもの問題の提起の発端から、それは植民地支配の告発の一部だし、そういう国際的な流れの一つを構成するものなのです(もちろん、戦時性暴力の告発という側面もありますし、それも重要ですが)。

そして、更に言えば、外国での戦争と植民地支配のために、自国の弱い立場の女性や植民地の女性を性奴隷として動員するという制度は、18-19世紀のヨーロッパで確立されたものでもあります(「公娼制」というのは、本来はその制度のことを意味します)。日本が独特なのは、列強各国で反省が高まり、公娼制の廃止が進んでいた20世紀になってから新たにこの制度を立ち上げたという点にあり、その意味で二重に救い難い感じになっています。

@lematin 歴史修正主義についてはスターリン時代のロシア・ソ連という大先輩がいたりしますし。演説中のレーニンの隣に立っていたトロツキーを綺麗に消してスターリンに挿げ替える写真みたいなテクなど、お手のもの😆

@keezay あれも単に目立つだけだと僕は思ってるんですよね…。そういうのはそれ以前にももっとたくさんあったと思います。