ちょっと書いておくと、これは1980年代にドゥルーズが指摘してるんだけど、コンピューターが普及する前と後とでは、「監視される」みたいなことが質的に違う。
情報化前の世界では、すべて監視することはできない。なので、フーコーのパノプティコンがそうなんだけど、一部だけを監視したり、監視しやすい仕組みをつくったり、脅しをかけたりする(これを、フーコー、ドゥルーズの用語では「監視社会」と呼ぶ)。
ところが、コンピューター(具体的にはデータベースと、ドゥルーズは言わなかったけどAI)が普及すると、「すべてを記録し、分類し、必要に応じて検索をかける」ということが可能になる(ドゥルーズはこれを「管理社会」と呼ぶ)。
だから今は、全住民の指紋を登録するとかは全然不可能ではない。あるいは、全住民の全行動をデータベース化することも、もはや不可能ではない。
だから、過去の抵抗の論理や方法も今使えるものと使えないものとがあると思う。