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この数年、語ることと聞くことについて興味があり、今も『性暴力被害を聴く 「慰安婦」から現代の性搾取へ』を読んでいるのだけれど、とにかく辛い。

死を決意するほどの絶望から生還した後の五年間、金の意識は変わっていく。そこで生き抜く術を体得していくのだ。慰安所で生き抜く術とは、自身の意識を変えることである。「言うことを聞かなかったら殴られて大変」であることを思い知った金は、「言うとおりにしていれば身体に害はない」と、「可哀想だと言って」「少しでも休めと、ただ座って出て行く軍人」を待ちわびるようになる。自殺を図った当初、金が切実に願っていたのは慰安所からの解放だったはずだ。
ところが、自身が待っているものが、死を決意するほど耐えがたいそこからの解放ではなく、一時安らがせてくれる軍人なのだと思い込むほど、金の意識と感覚は狭められ麻連していく。自ら認識を狭め麻庫させ回避しなければ生きていくことができなかったからだ。
p138

私はこういう「ねじれ」があまり理解できず、自分の「ねじれ」も意識して正すことができるようになったのが最近だったし、ということもあり、こういう「語り」のものを読むのに非常に時間がかかるのだけれど、自分と似たような人が世の中に多く、色んなものがねじれたまま、もう「消費」と言っていいものになってしまっているような気がする。

この本はAV出演強要について書かれている章があり、ぱっぷすの活動が取り上げられていて、本当にすばらしいものだけれど、「強要」があること、トラウマの再演、など性被害者の行動、という「被害」と、「セックスワークが(主にケアの)サービスとしてあり、実際セックスワークが国に蔑ろにされていること」が、私自身も混同してしまいがちだし、ちょっと今自分も言語化できないので難しいな。(前提として私はセックスワークイズワークだと思っています。)

カンミ

福童さんから聞いた体験談
金福量ハルモニは、「日本政府は本当に悪い」と言って自身の体験を語ってくれた。こちらをまっすぐ見ながら、怒りに満ちた声で、でも落ち着いてこう話してくれた。

私の家は農業で生活を営む農民でした。しかし土地は日本のものだということになり、作物はほとんどを税として供出するよう命じられ、もって行かれました。お腹が減っても食べるものがなく、自分たちは農業をしているのに、野草や木の皮を採って食べながら生きてきました。
そして戦争が起きると、日本は私たちからたくさんのものを奪っていきました。私たちは名前さえも奪われ、日本名に変えさせられました。私もカネムラ・フユコという名前を付けられました。すべての朝鮮人が完全な日本人にさせられたうえで、男の人は徴工徴兵で連れて行かれ、女の人は一〇代から慰安所に連れて行かれました。
村ごとに少女を何十人ずつ集めろと言われ、私も軍服工場に行くと騙されて連れて行かれました。連れて行かれないように結婚してしまおうとも思ったのですが、その当時は相手を探そうにも男の人は徴用されて、近くにいない状況でした。

私は一九四一年、一六歳の時に連れて行かれました。着いた場所は日本の戦場の第一線でした。そこから私は、慰安婦としての生活を送ることになりました。
私たちは日本軍が戦争を起こし、侵略してゆく後方にいて、日本軍が上陸するとそれについて行く形で、日本の戦場の至るところに行きました。台湾から始まり、中国の広東、香港、インドネシア、ジャワと転々とさせられ、終戦時にはシンガポールにいました。
戦争が終わり、私が祖国に帰って来ることができたのは二〇歳の時でした。帰っては来たけど、自分が受けた被害を誰にも言えずにいました。体もボロボロになっていたので、家で養生しながら生活していましたが、母が結婚を勧めて来た時に、自分が受けた被害を話しました。それを聞いた母はショックを受けていましたが、そのことを母も誰にも話すことはできませんでした。その影響もあり、母はその後病気で亡くなってしまいました。p250

日本、ほんとひどくてむごいな。

そしてこの本は、やはりセックスワーク廃止に向けるような書き方をしてる気がします!(念のため書いておく)